映画公開までの間にガンダム00にどーにかして興味もってもらおうという主旨のブログ
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カティ・マネキン大佐。見かけも中身も立派な大人だが、声のせいか「雄々しい…」という印象が強い彼女…… 年下・めげない・空気読まない、不死身の男が家に押しかけた際に、意外にフェミニンな趣味であることが判明。軍務での姿との違いをまざまざと感じさせ、一部のマニアックな男性陣(コーラサワー氏含む)を虜にしたわけだが、この人、初見からなんか気になるのう…… とリクソンは思っていた。
先日気づいたのだが、『宇宙戦士バルディオス』のローザ・アフロディア司令にそっくりである。おっとろしいことに、相手役の主人公マリンも、コーラサワー氏にそっくりである。
さて、そんなもんしらねえやという諸兄のために簡単に説明すると、、『宇宙戦士バルディオス』はS-1星人のマリンが地球側につき、S-1星の侵略から地球を守るという、1980年代によくあった設定のSFアニメで、ドラマの主眼は、異星人でありながら地球側についた裏切り者のマリンと、マリンに弟を殺された美貌の司令官アフロディアの恋愛模様である。
当時は、こういうの多かったね…… ってリクソンの記憶では、マリン×アフロディアで、ロミジュリってことしか覚えてなかったわけだが。
さて、類似点をあげていこう。
・2人の外見(ぐぐって見てくれ)
女性:眼鏡・軍帽・軍服・長髪をまとめ髪
男性:気まぐれ長髪・(黙ってれば)一応正統派のイケメン
・女性年上で年齢差2~4歳(バルディオスでは映画版で異なる)
・女性は嫁き遅れの年齢
・女性のが階級高い
・女性の能力が非常に高い
・男性が、非常に受け臭い
・女性は、この戦争に疑問を感じている
・女性は、戦争や軍にまつわる悲劇のエピソードがある
・男性は面食いである
・2人の恋愛には障害がある
つまり、キャラクター個人として見たときの属性と、抱えている課題がよく似ているのである。
次に相違点をあげてみよう。
・権力者のバックがいる/いない(アフロディアは総統の愛人)
・男性の髪の色が真逆(マリンは青、コーラサワーは赤毛)
・男性の性格が違う(マリンは熱血漢、コーラサワーは軽薄)
・置かれている陣営が違う(マリンとアフロディアは敵味方、コーラサワーとマネキンは同陣営)
・恋愛への障害の大きさの違い
この相違点のうち幾つかは、マリンとアフロディアのドラマは作品のメインテーマだったが、コーラサワーとマネキンのドラマは作品における刺身のツマだったことに起因する。たとえば、陣営の違いや障害の大きさがそれだ。「惹かれあいつつも敵となる2人」が、マリンとアフロディアの大前提なので、そこは絶対的になる。
ということは、マリンとアフロディアは当初から悲劇を織り込み済みだったという意味でもある。この性格の2人がロミジュリの流れに乗った時点で、悲劇は避けられない。
ハッピーエンドになるには、2人の恋愛成就は必須だが、このハードルは非常に高い。お互いに背負っているものが大きいので、それを解決しつつ恋愛も、というのはほぼ不可能なせいだ。
最大のハードル、それはアフロディアは弟の死を忘れてマリンと幸せになる自分を絶対に許せないだろうキャラクターだという点だ。そこで何もかも捨ててマリンとともに生きる選択肢を選ぶアフロディアは、もう眼鏡軍服高齢S美女とは言えないのである。また見てるこっちも、そんなアフロディアは見たくない。
ここがマネキンと同質だと思う所以だ。
もし、マネキンがコーラサワー氏の死ぬ死ぬ詐欺のたび、泣いたり喚いたり「私たちは失ったの!」@フェルトみたいな八つ当たりをしたりしていたら、たぶん、それはもうマネキン大佐とは言えない。表情を動かさず指揮をして、コーラサワーが「やられちゃいましたあ」とへろっと出てきて初めて、少しだけほっとした表情をする、これがマネキン大佐である。
高い知能と自分を律する厳しさを持ち、必要とあらば冷酷にふるまうが、その内面はかなりの情熱家で愛情深い…… というのがアフロディアとマネキンの共通点のうち最たるもので、そこを崩すような恋愛成就はあり得ない。
しかし、マネキンは本編のなかで結婚までした。この違いは、メインとサブという扱いの違いもさることながら、この手キャラクターが幸せになるには29年の時間の流れが必要だったということなんだと思う。
女性キャラクターに対して、男性キャラクターの差は大きい。特にコーラサワーの性格は、1980年ではギャグアニメでなければ、到底許されるものではなかった。しかし、女性キャラが己の立場と責任を捨てられないなばら、男性キャラが捨てるしかない。
よって、何もの縛られず、何も気にせず、めげず・くじけず・へこたれない男性キャラによって、初めて眼鏡軍服高齢S美女は、誰の庇護も受けず、彼女自身として自分の足で立ちながら、伴侶を得ることができるようになった。こういう男性キャラが許されるようになった、共感を得られるようになった、というのが29年の社会の変化を感じさせる。
高めの女をゲットするには、彼女よりも器が大きいけれど、底に穴があいててダダ漏れ、なのに全然中身尽きねーぜ! 的な、規格外キャラでないと追いつかないのだろう。
そんで、今回一番言いたいこと。
監督と脚本とキャラクターデザイン…… 絶対アフロディア好きだったろ! 年齢的に言っても。
先日気づいたのだが、『宇宙戦士バルディオス』のローザ・アフロディア司令にそっくりである。おっとろしいことに、相手役の主人公マリンも、コーラサワー氏にそっくりである。
さて、そんなもんしらねえやという諸兄のために簡単に説明すると、、『宇宙戦士バルディオス』はS-1星人のマリンが地球側につき、S-1星の侵略から地球を守るという、1980年代によくあった設定のSFアニメで、ドラマの主眼は、異星人でありながら地球側についた裏切り者のマリンと、マリンに弟を殺された美貌の司令官アフロディアの恋愛模様である。
当時は、こういうの多かったね…… ってリクソンの記憶では、マリン×アフロディアで、ロミジュリってことしか覚えてなかったわけだが。
さて、類似点をあげていこう。
・2人の外見(ぐぐって見てくれ)
女性:眼鏡・軍帽・軍服・長髪をまとめ髪
男性:気まぐれ長髪・(黙ってれば)一応正統派のイケメン
・女性年上で年齢差2~4歳(バルディオスでは映画版で異なる)
・女性は嫁き遅れの年齢
・女性のが階級高い
・女性の能力が非常に高い
・男性が、非常に受け臭い
・女性は、この戦争に疑問を感じている
・女性は、戦争や軍にまつわる悲劇のエピソードがある
・男性は面食いである
・2人の恋愛には障害がある
つまり、キャラクター個人として見たときの属性と、抱えている課題がよく似ているのである。
次に相違点をあげてみよう。
・権力者のバックがいる/いない(アフロディアは総統の愛人)
・男性の髪の色が真逆(マリンは青、コーラサワーは赤毛)
・男性の性格が違う(マリンは熱血漢、コーラサワーは軽薄)
・置かれている陣営が違う(マリンとアフロディアは敵味方、コーラサワーとマネキンは同陣営)
・恋愛への障害の大きさの違い
この相違点のうち幾つかは、マリンとアフロディアのドラマは作品のメインテーマだったが、コーラサワーとマネキンのドラマは作品における刺身のツマだったことに起因する。たとえば、陣営の違いや障害の大きさがそれだ。「惹かれあいつつも敵となる2人」が、マリンとアフロディアの大前提なので、そこは絶対的になる。
ということは、マリンとアフロディアは当初から悲劇を織り込み済みだったという意味でもある。この性格の2人がロミジュリの流れに乗った時点で、悲劇は避けられない。
ハッピーエンドになるには、2人の恋愛成就は必須だが、このハードルは非常に高い。お互いに背負っているものが大きいので、それを解決しつつ恋愛も、というのはほぼ不可能なせいだ。
最大のハードル、それはアフロディアは弟の死を忘れてマリンと幸せになる自分を絶対に許せないだろうキャラクターだという点だ。そこで何もかも捨ててマリンとともに生きる選択肢を選ぶアフロディアは、もう眼鏡軍服高齢S美女とは言えないのである。また見てるこっちも、そんなアフロディアは見たくない。
ここがマネキンと同質だと思う所以だ。
もし、マネキンがコーラサワー氏の死ぬ死ぬ詐欺のたび、泣いたり喚いたり「私たちは失ったの!」@フェルトみたいな八つ当たりをしたりしていたら、たぶん、それはもうマネキン大佐とは言えない。表情を動かさず指揮をして、コーラサワーが「やられちゃいましたあ」とへろっと出てきて初めて、少しだけほっとした表情をする、これがマネキン大佐である。
高い知能と自分を律する厳しさを持ち、必要とあらば冷酷にふるまうが、その内面はかなりの情熱家で愛情深い…… というのがアフロディアとマネキンの共通点のうち最たるもので、そこを崩すような恋愛成就はあり得ない。
しかし、マネキンは本編のなかで結婚までした。この違いは、メインとサブという扱いの違いもさることながら、この手キャラクターが幸せになるには29年の時間の流れが必要だったということなんだと思う。
女性キャラクターに対して、男性キャラクターの差は大きい。特にコーラサワーの性格は、1980年ではギャグアニメでなければ、到底許されるものではなかった。しかし、女性キャラが己の立場と責任を捨てられないなばら、男性キャラが捨てるしかない。
よって、何もの縛られず、何も気にせず、めげず・くじけず・へこたれない男性キャラによって、初めて眼鏡軍服高齢S美女は、誰の庇護も受けず、彼女自身として自分の足で立ちながら、伴侶を得ることができるようになった。こういう男性キャラが許されるようになった、共感を得られるようになった、というのが29年の社会の変化を感じさせる。
高めの女をゲットするには、彼女よりも器が大きいけれど、底に穴があいててダダ漏れ、なのに全然中身尽きねーぜ! 的な、規格外キャラでないと追いつかないのだろう。
そんで、今回一番言いたいこと。
監督と脚本とキャラクターデザイン…… 絶対アフロディア好きだったろ! 年齢的に言っても。
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漢らしい女性陣 VS わんこ男性陣
このアニメ、とにかく女が強い。
どれだけ戦闘力のない女でも、基本「振り回す女」であったりする。特に、スメラギ(クジョウ)のビリーへの残酷な扱いっぷりは、監督か脚本家、なんか嫌な経験でもあったのか、と思うくらい、眼中にない男への態度としてリアルである。合掌。
そんな女たちは、回を重ねるたびにどんどん漢らしくなっていく。
恋愛してるとか、そんなん全然関係ない。最終回のマリナ姫なんか、黒王号も膝を屈して乗せるんじゃないかってくらいの男前っぷりだ。
これが宮崎駿的な、母性に理想を重ねた強さでないのがまたすがすがしい。
それに対して、男性キャラたちは、多くが人の話を聞かない。言うことを聞かない。
マイスターたちの戦術予報士無視っぷりは、ほんとにおまえらイオリアの計画を遂行する気あるのかと。兵士は現場で判断するなと。刹那は女性の寝室に侵入するなと。そうツッコミたくなるほどである。
そんな男性陣は、自分で勝手に納得して勝手に次の段階に進んでいく。誰かと話しあったり、説得されることはない。外見はすべからく受け臭いが、そういう意味では非常に男の子である。ていうかやんちゃである。ていうか命令は聞けよ。
この成長とは別に男性陣にのみ特有の変化がある。
00の男たちは恋すれば恋するほど、わんこになっていくのである………。ライルしかり、ビリーしかり、コーラさんは…… まあ、あれはもう……。ビリーとスメラギの邂逅シーンなど、どう見ても「迷子になって見捨てられたと思っていたグレグレわんこが、飼い主の差し伸べる両手で更正した」図以外の何ものでもない。
そういう意味では、ほとんどすべての男性陣がわんこ属性をもっているといっても過言ではない。
が、そんな情けない部分ももっているメインキャストたちの不完全さが、この作品のキモだと自分は思う。
このアニメ、とにかく女が強い。
どれだけ戦闘力のない女でも、基本「振り回す女」であったりする。特に、スメラギ(クジョウ)のビリーへの残酷な扱いっぷりは、監督か脚本家、なんか嫌な経験でもあったのか、と思うくらい、眼中にない男への態度としてリアルである。合掌。
そんな女たちは、回を重ねるたびにどんどん漢らしくなっていく。
恋愛してるとか、そんなん全然関係ない。最終回のマリナ姫なんか、黒王号も膝を屈して乗せるんじゃないかってくらいの男前っぷりだ。
これが宮崎駿的な、母性に理想を重ねた強さでないのがまたすがすがしい。
それに対して、男性キャラたちは、多くが人の話を聞かない。言うことを聞かない。
マイスターたちの戦術予報士無視っぷりは、ほんとにおまえらイオリアの計画を遂行する気あるのかと。兵士は現場で判断するなと。刹那は女性の寝室に侵入するなと。そうツッコミたくなるほどである。
そんな男性陣は、自分で勝手に納得して勝手に次の段階に進んでいく。誰かと話しあったり、説得されることはない。外見はすべからく受け臭いが、そういう意味では非常に男の子である。ていうかやんちゃである。ていうか命令は聞けよ。
この成長とは別に男性陣にのみ特有の変化がある。
00の男たちは恋すれば恋するほど、わんこになっていくのである………。ライルしかり、ビリーしかり、コーラさんは…… まあ、あれはもう……。ビリーとスメラギの邂逅シーンなど、どう見ても「迷子になって見捨てられたと思っていたグレグレわんこが、飼い主の差し伸べる両手で更正した」図以外の何ものでもない。
そういう意味では、ほとんどすべての男性陣がわんこ属性をもっているといっても過言ではない。
が、そんな情けない部分ももっているメインキャストたちの不完全さが、この作品のキモだと自分は思う。